「海のオべりスト」チャールズ・デイリー・キング

海のオベリスト (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

海のオベリスト (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

ミステリ。

北大西洋横断中の豪華客船で起こった殺人事件。衆人環視の中で銃撃を受けた被害者は、弾丸が心臓に達する直前に毒殺されていた。事態を重く見た船長は偶然乗り合わせた4人の心理学者たちに助力を仰ぎ、事件の真相を探ろうとするのだが…


本書は「鉄路のオベリスト」「空のオベリスト」へと続いていくオベリストシリーズの第一弾にしてデイリー・キング名義のミステリとしては処女作。
手がかり索引といった趣向から窺えるように、作者が読者に対してフェアな記述と伏線の提示を心がけているのが特徴の一つ。また、事件の舞台がモダンな施設であること、4人の心理学者たちが繰り広げる推理合戦(多重解決)など、魅力はパズラーとしてのそれに留まらない。
黄金期の探偵小説がもつ独特の典雅な雰囲気を余すことなく味わえる好作品となっている。
ヴァン・ダインや初期のクイーンの諸作において指摘されるような捜査場面の退屈さも、現在進行形で事件が目まぐるしく展開する本作では感じられない。

ややもするとパズルとしての厳密さに傾倒しがちな他の黄金期におけるアメリカ本格作品と比較して、この読んでいて心地よく感じられるほどのサービス精神は特記に価する要素だ。

惜しむらくは、心理学者たちの提示する推理が、実行犯を特定するというよりも犯人の内面や行動傾向の分析にシフトしていること。読み物としては面白いものの、犯人当て小説としての完成度の底上げには貢献していない。
また探偵役によって開陳される真相も、論理で裏打ちされた推理に基づいてるとは言いがたい。犯人が実際にとった行動を完全には説明できていない点に不満が残る。

ちなみに、読者が記述から犯人を推定する場合、ある一点に気が付けさえすれば簡単に割り出すことができる。実は、この一点突破的なプロットが続編「空のオベリスト」ではミスリードとして用いられており、共通の趣向の中に仕掛けがあるという意味で、十全に作品を堪能するにはシリーズを発表順に読むのが好ましいだろう。

「絞首人の一ダース」デイヴィッド・アリグザンダー

絞首人の一ダース (論創海外ミステリ)

絞首人の一ダース (論創海外ミステリ)

ミステリ。

論創海外ミステリといえば作品ごとの毀誉褒貶の激しさと難のある訳で(一部で)有名だが、本作はレーベル随一の水準と評判の短編集。硬質な訳も作風とマッチしている。

本書に収録された作品の特徴は、登場人物の心理に重点を置かれて書かれていること、(それと表裏一体なのだが)ミステリとしてはひねりの少ないものが多いことなどが挙げられる。

心理をプロットの根幹に置いた作品と言えばスタンリィ・エリン(奇しくも本作の序文はエリンの手によるものだ)の諸作が思い浮かぶが、エリンの場合は心理がいわば事件の固定的な関数として機能しており事件を成立させる要素の1つとして扱われるのに対し、アリグザンダー作品の場合、心理とは物語の中心であり、その流動的な動きを描くことが物語の第一目的となっている。

ミステリとは「因」か「果」のどちらかを強く志向するジャンルであるが、アリグザンダー作品は「因」から「果」に至るまでの過程を描くことに多く筆が割かれている。その理由はおそらく「なぜそのような心理に至ったのか」ということを十全に表現するためだと考えられる。

ミステリとしてひねりのない展開をするという所以もそこにある。作者の興味の対象は読者を翻弄することにはなく、あくまで心理がなぜそう働いたのかを丁寧に描写することにあったのだろう。

ちなみに収録された短編の中にはハードボイルド色の強いものが含まれているが、上記の人間描写とプロットの関係はある種のハードボイルド作品にも当て嵌まる説明だと思う。

「10ドルだって大金だ」ジャック・リッチー

10ドルだって大金だ (KAWADE MYSTERY)

10ドルだって大金だ (KAWADE MYSTERY)

ミステリ。
「クライム・マシン」で2006年版このミス海外編1位を獲得したことも記憶に新しい、ジャック・リッチーの日本オリジナル傑作選。

作者の持ち味であるスマートな文体とツイストが効いた構成は、前短編集と同様。本作はより軽妙な作品が多く収録されていて、モッサリ感は皆無と言ってよい。

ただその分、本格としての構築性は(前作と比べて)やや落ちるか。

とは言えリッチー作品が持つ魅力はプロットの複雑さだけではない。テンポよく切れ味のある文章と無駄のない展開の端正さにこそリッチー作品の本質があると見る向きには、本作は間違いなく傑作と言える。

読書とはある種の錯覚を前提にした行為である。ジャック・リッチーはどうすれば読者にこころよい錯覚を与えうるのか、その呼吸を心得ていた作家なのだ。

「百万のマルコ」柳広司

百万のマルコ (創元推理文庫)

百万のマルコ (創元推理文庫)

ミステリ。
これまで手堅い(でも地味な)本格ミステリを上梓してきた作家、柳広司の手による最新短編集。
舞台は13世紀末のジェノヴァ。戦争捕虜として牢獄に入れられた若者たちは、その単調で刺激のない生活に暇をもてあましていた。だが、新たに入獄してきた捕虜<百万のマルコ>(マルコ・ポーロ)が語る不思議な話を聞いている内に、いつしか彼らはその話が内包する謎に関する議論に夢中になっていく。
各エピソードに登場する謎は一つ一つピックアップしていくとどれも小粒であり、クオリティ自体も玉石混交の嫌いが強い。例えば逆説としての洗練度はチェスタトンと比較にもならず、オチのスケールは泡坂妻夫に遠く及ばない。
しかし、本書の魅力は、小粒が故に持つ軽みにこそあるのではないだろうか。暇つぶしの為の小話という体裁や、素っ気ない語り口なども、その傾向に拍車をかけている。
個人的なお気に入りは、他と比して落差の激しいオチと伏線のヌケヌケ感が素晴らしい「色は匂えど」、定番のネタを上手く料理した「雲の南」、語りのレベル差を利用した余韻が独特な「ナヤンの乱」など。

双生児 (プラチナ・ファンタジイ)

双生児 (プラチナ・ファンタジイ)

SF。
世界幻想文学大賞受賞作「奇術師」が映画化されたことでも話題の作家、クリストファー・プリーストの最新訳小説。FT文庫でなくハードカバーの単行本で発刊された。ソフトもハードも重厚な作品となっている。

内容の説明に入ろうと思ったが、本作の内容は大変説明しにくい。なぜなら物語の軸が1つでなく、多様なリアリティを主張する記述が混在するためだ。

なら散漫な話なのかというと、そうではない。それぞれの記述が語るリアリティは一定の法則に従って存在しており、物語世界の全貌を把握することも(読解に対する努力を惜しまなければ)可能だ。

主流文学よりの作風といわれるプリーストだが、この法則の適用こそが本作をSFに留まらせている要素であると言う事が出来る。

ところで、プリーストといえば小説の冒頭部分を状況説明に費やし、読書に対するモチベーションをがんがん削いでくることでも有名だったが(「奇術師」や「逆転世界」で挫折した人は大体これが理由だろう)、この作品では最初から読者の気を惹くよう配慮された展開が遂げられている。冒頭における謎の提示といえば島田理論を思い浮かべるが、本作でも提示された謎は解体するのでご安心を。ただし、その解決を十全に理解するには積極的な読解が不可欠なので留意されたし。

最後に、本作の魅力について。

記述の体系としての美しさもさることながら、その体系を破綻させることなく成立させている設定の妙。それが本作の魅力だろう。
「英空軍爆撃機操縦士にして良心的兵役拒否者」という矛盾した存在、J・Lソウヤーとは何者だったのか、その謎をノンフィクション作家スチュワート・グラットンが解き明かそうとするが(ちょっと要約しすぎ)…といった単純な冒頭からは考えられない物語展開。複雑な構成に複雑な設定、さらにメタテキストまで混入してきて世界像の把握もおぼつかない記述。すべて説明可能なようでいて、自己完結することは決してない小説構造。
それらがもたらす快楽をぜひ味わっていただきたい。

大きな前庭 (ハヤカワ文庫 SF 450)

大きな前庭 (ハヤカワ文庫 SF 450)

SF短編集。
クリフォード・D・シマックはアメリカ出身の作家。少年時代は祖父が経営する農場で育ち、大学中退後、新聞記者を経てSF作家となった。
その出自ゆえだろうか作風はやや牧歌的な雰囲気を有しつつも通底する怜悧な視線が独特の世界観を形成している。
本書ではコミュニケーションをテーマに据えた作品を中心に収録。異質な知性同士の邂逅をメインモチーフに、ユーモラスながらもどこか無常感(観)を帯びたSFが楽しめる。
集中では『ジャック・ポット』が一番好み。宇宙各地を飛び回るトレジャーハンターが発見した惑星にそびえ立つサイロ状の建築物の正体とその価値をめぐる話。