ヴィーナス・プラスX (未来の文学)「ヴィーナス・プラスX」シオドア・スタージョン
国書刊行会未来の文学」第四回配本。タイトルは天文学の記号。
このレーベルで出てきた今までの作品とは一味違う一冊だった。なぜならこの作品、まともなSFのカタチを保っています。「ケルベロス第五の首」とか「エンベディング」みたいな畸形SFとは一線を画すオーソドックススタイルが心地よい。しかもミステリとしてもうまくまとまっている。
主幹となるSF的着想自体はさほど独創的ではないし、独自の世界観を子細に描写するわけでもない。それに加えて、途中登場するジェンダー論もどこかで聞いたことのある話の域を出ていないし(どろぼうはジェンダー論をゼミでやっていた)そのジェンダーが孕む問題の解決作も既存のSF(ジェンダーとは限らないが)にみられるものと大同小異。(とはいえ、1960年にもうこんな題材のSFを書いているというだけで、十分驚異に値するのだけど)
あえて不満点を並べ立ててみたが、そのことが作品の価値を貶めているかというと、それが違ったりする。この作者は要素の組み合わせ方や呈示のさせ方が巧み(←われながら抽象的な表現だな)なので、読者はほとんどストレスを感じずに作品の主題に入っていけるし、自身のジェンダーに対する捉え方、感じ方を(物語の展開に無理を強いることなく)読者が再確認できるように促すことを可能にしている。つまり物語が無駄なくしかもテンポよく進行していくのだ。カタストロフに向かって畳み掛けていくラスト(←厳密に言うと少し違うが)の展開はとくに圧巻。
言い忘れたが、この作品に特徴的なのは「希望を伴う未来への志向」である。ラストのどんでん返しも、繰り返し挿入される現代アメリカの一家庭を描いたパートも、レダム人の基本原理も、この「志向性」を表現するための布石というか構成要素だろう。といってもA・C・クラーク的な楽観ではなくて、「事態が好転する可能性もある」くらいの希望だけど。ティプトリーjr.みたいに陰鬱すぎると気が滅入るし、これくらいの「希望」を含んだ終わり方はわりと好みです。(もちろん含まれているのは「希望」だけじゃないが)