日常の謎 

Wandererさんの日記を読んで思うところがあり、いわゆる「日常の謎」について考えてみた。
いわゆる「日常の謎」ものミステリってのは、我々(読者)が普段暮らしているような(とりたてて特殊な事象の起こらない)生活空間において発生した(発見された)一見とるにたらない何気ない不可思議な現象を、探偵役が語る言葉(推理)によって読者に具体的な説明をすることで「日常」の中にすまう「非日常」を現前させてみせる、のが読ませどころなんじゃないすかね。
まぁこの「日常」ってものは要するに「一般的な生活を営む場」です。しかし、どんな人でも最初から「生活を営む場」が「一般的な」ものだったはずはありません。繰り返されることによって初めは「特殊な」ものであった生活も「一般的な」ものと化すのです。つまり生活を繰り返すことによりあらたに認知される情報がだんだん減っていき、その過程でもともとは「特殊な」ものであった「生活の場」は抽象化(つまり古い、余計な情報が捨象されていくこと)され、「一般的な」ものとなるのです。これが「日常」であります。で、情報が抽象化される以前の「特殊な場」が「非日常」ね。情報が捨象されて「非日常」が「日常」になるのであれば、「日常」に情報を加えれば「非日常」になるんじゃないすかね。
この情報量の操作による「日常」→「非日常」という認知構造の変化を読者に促すのが「日常の謎」ものミステリ(の一つの側面)で、その逆がいわゆるふつうの推理小説なんじゃないすかね。