「グラン・ヴァカンス」飛浩隆グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
えすえふ。
「人間が来客しなくなって1000年経つ、ヴァーチャルリアリティ空間内に存在するリゾート地があり、そこではAIたちが同じ1日を何度も繰り返し過ごしていた。しかしある日、千年間何も変化のなかった日常を破壊する出来事が・・・」という設定からもうかなりやられてしまった。構想に何年もかけただけあって、ち密に考え抜かれたアイディアが目白押し。しかもそのアイディアがいろんな伏線になっているという心憎い演出。多数の伏線が絡み合って、一つの話として収斂していく構成もまたよし。さらに描写がすごい巧み。読書中ずっと脳内に(俺なりの)フランスの港町が浮かび上がってくるんですよ。青い海が眼前に広がって、潮の匂いが届いてきそうなくらい。「五官に訴える」という形容がここまでしっくりくる文章にはなかなかお目にかかれない。それくらい官能的。官能的といえば本書には性的な描写が沢山出てきます。それもまた内的な必然性を孕んでいたりするので油断出来きません、飛浩隆
と、いった具合に誉めはじめたら枚挙にいとまがありません。それくらいの傑作。
これは蛇足だけど他に考えたことといえば、この物語の軸になるのは「二項対立」だということ。それも「性(エロス)」と「死(タナトス)」という根源的な二項対立。もちろんAIたちが担うのが「性」で蜘蛛(及びその他)は「死」を担っているンだけど、この場合、「性」に勝ち目はないんだよね。
何でかっていうと、AI達の「性」には自己を複製する能力としての「性(生殖)」が存在しないから。「死」に対抗する手段としてこんなぜい弱なモノを背負わされていたんじゃ敗北は必死。でも勝つ方法がない訳でもない。それはその二項対立構造よりもメタレベルにあるものを用いることである(例えば人と人の対立には「法」というメタレベルが用いられる)。
そして最初からそのメタレベルは示唆されていますから・・・当然の帰結としての結末を持って・・・物語は閉じられます。
あ、テキトーに書いてるンで、後半は無視しても構いません。「俺の考えるグラン・ヴァカンスはこんなじゃねェ!」ってお方は是非反論してください。僕もそうしてくださる方がうれしいんで。