「ゼウスガーデン衰亡史」小林恭二
清涼院流水の「JDCシリーズ」を髣髴させるところが多々あった。たとえば、どちらも社会構造自体を変革させてしまうような組織、施設が現代に出現する話だし(大雑把過ぎ)、マクロレベルで起こる社会現象とかミクロレベルの個人の行動を並列させたり、組織や施設の内容説明によって読者をエンターテインするところも共通項だと思う(あ、あと名前のセンスも)。まぁ、本書の方がマクロな話は抽象的にミクロな話は類型的にとかなり徹底しているのだが。
解説にあった「全体を見る」という言葉は、ゼウスガーデンとそれより規模の大きい集団(日本とか世界の各国とか)との関係性においてゼウスガーデンがどのような役割を担っているかをたえず俯瞰できるようピントを調節して物語を語っているということ、っていう理解でいいのだろうか。物語中に「エゴとエス」の関係を意識した構図が散見することも、作者は意図してるんだろう(オチがあれだし)。