ネタバレ上等!な人だけ読んでください

ドゥームズデイ・ブックコニー・ウィリス
私の周りでのコニー・ウィリス評価
某じゅんさん曰く
宮部みゆきとか好きな人が好きそうだよね」
ふむふむ、確かに女流作家らしさが滲み出る作品ではあります。
某番長曰く
「なんか…気持ち悪いんだよなぁ。面前に女性器をつきつけられてるような、そんな感じ」
…意味不明ですが、ニュアンスは伝わります。
要するにいかにも「女性」が書いたSFってことなんでしょう。
で、実際読んでみた感想なんですが…長い!長すぎますよ!上下刊で1000ページ超えるんですよ!いくら最近の早川文庫が活字大きめだからって、実際にページを捲る労力は変わらないんですからね。物語が盛り上がってくるのが全体の三分の二を過ぎたくらいからなので、正直それまで何回挫折しそうになったか解りません。お話自体は決してつまらなくはないのですが、SFアイデアをどうやって用いようとするのかに全然わくわくしないのですよ。アイデア自体も特に斬新ではなく、意外性があったり盲点をつかれたような使われ方でもないし。小説技術は一級品なんだろうけれど本質的な素材に魅力を感じられないんです。そつはないけどフックもない、いったい何がいけないんでしょう。センスオブワンダーが足りないんでしょうか(笑)もちろんこの場合のセンスオブワンダーはただのdeus ex machinaですが。
でも後半部分は結構面白いんですわ。タイムスリップ先の中世で登場人物がバタバタと死んでいく状況でも決して逃げ出したりせずに病人の手当てを続ける主人公のけなげさなんかは人によっては感動モノでしょう。そして主人公のことを必死で助けようとする主任教授が活躍する現代パートでも、前半は救出を邪魔をする人たちがうざったくて仕方ないのですが、後半ではそれどころではない事態になって死人もゴロゴロ。多分作者もこの部分が読ませどころだって自覚があるんでしょう、今までに登場した登場した人物でもかなり印象的なところからコロしていきます。
しかしね、私は少し醒めてしまっていたんすわ、この登場人物のジェノサイドっぷりに。何でかっていうと、登場人物がただの記号になっちゃってたの。この作品に登場する人物って非常にわかりやすくて「主人公の味方=根っから善人」「主人公の敵=嫌なやつ、俗物、身勝手なやつ」って構図に全部あてはまってしまうんです。で、この二元的な属性が登場人物に与えられる最大の属性なのよ。だからこのジェノサイドを見てても読者である私にどこか遠い存在っていうか、死んだとたんに登場人物は「いいやつ」か「悪いやつ」だったかどっちかの存在でしかなくなってしまうんですわ。その時点で作者の描こうとしている「死」がカリカチュアめいたものにしか見えなくなってしまったんです。そこがとても気になった。
本書を読んでて(この「死」の記号化、カリカチュア化から連想したんだろうけど)脳裏に山口雅也の「生ける屍の死」がよぎりました。この作品ではわざと「死」「殺人」「死体(屍)」をカリカチュア化しているんだけど、そのことが逆に本格ミステリにおいてこれらのテーマを扱うことを問い直しています。そしてこの作品のもっとも特異な設定「死者のよみがえり」は死によって喪失われてしまった死者のパーソナリティー復権に一役買っていて、「死者」をただの「死体」という記号に埋没させることから逃れさせています。
ミステリで「フィクションにおいての人死に」に慣れてしまった私には「ドゥームズデイ・ブック」における「死」に対してもあまり心を動かされることはなく、主人公たちが対面する(現実的な)「死」にどんな感情を示そうと究極的にはそれに移入することは不可能だと思えてしまい、どこか醒めたような目で読んでしまうんです。
これは私の個人的な感想ですから、もちろんコニー・ウィリスを十分に面白く読める人もいると思います。私自身かなり楽しく読みました。でも、どこか掘り下げ方が足りないと感じるところがあるのも事実です。なにが足りないんでしょう?センスオブワンダーが(後略)
最後に一言。
memento mori(死を忘れるな!)」
そういえばこの言葉が使われたのも中世でしたっけ。