土曜日どろぼうは寝坊した。

結論から言えば、遅刻いたしました。読書会の課題作を観終わったのが12時40分。それから身支度して最寄の駅についたのが13時10分。読書会の開始時刻である13時半から遅れること15分、やっと会場に到着いたしました。一年生がいませんでした。数十分後、OBさんや私と同じ5年生なども来場し、ますます高齢化に拍車がかかります。会場はもはや高齢化社会ではなく高齢社会というべき様相を呈しておりました。(「読書会参加者の平均年齢は毎年1づつ上がる」という法則が成り立ちそうですな)

読書会自体は特にトラブルもなく終わったと思います…多分。途中、5年生の射干玉さんが詰問調で怖かったことを除けば。のちに、彼と読書会の時の彼本人の口調について「読書会担当だった時の番長を彷彿させた」と言ったら、「俺は「あいつの口調怖いな〜」って思ってたから、そうならないように気をつけたんだけど…」と返ってきた。まったくもぉ…これだからスノッブは。(←偏見)担当者は「射干玉さんがいたから今回はよかった」と言ってたし、これでいいんだろう…多分。

夜はミス連。後輩と二人でろくでもない話に花を咲かせる。いわく、「××××の×××でいてくれよ」とか「格好のいい人は傲慢でも許されるが、その逆は最悪の評価を下される」とか。

その後、笛さん宅まで池袋から三人(私、射干玉さん、笛さん)で歩きつつ反省会。笛さんは、我々が今回おこなったような、テキストから本質に切り込んでいくタイプの議論には厭きているそうで、「それよりは外延的な要素をとりだして云々していく議論のほうが今は好みだ」とおっしゃっていました。その説にも一理あると思うんすけど、私は読書会には下級生達(特に一年生)に啓蒙するという意義もあると考えていますので、まずは本質論から始めたほうがいいだろうという立場をとりました。そちらの方が若い方にも馴染みが深いと思いまして…段階的に他の方法もとりいれられれば、それにこしたこたぁないですが。
なぜ本質論のほうに(他の論よりも)プライオリティをおきたいかというと「私はそういう方法が好きだから」というだけで、べつに他に深い意味はありません。「他の方法で作品を分析することに不慣れで、実際にやろうとするとしんどいから」と言い換えてもいいんですけど。なにぶん不勉強な人間なんでテキスト外の知識が乏しく、そういう方法で論を立てるのが苦手。
もちろん他の人がやってくれるぶんには文句のあろうはずもなく…多分。

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